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たかじん死去時の疑問点

食事を喉につまらせ報道とその他の死亡時の報道についてはたかじん死去報道まとめページを参照してください。


たかじん死去まで

余命宣告

  • 宣告された余命よりもかなり早くに死去した
通常、余命は実際よりも短めに宣告されることが多い。
ところが、たかじんは余命1~2ヶ月と宣告されてからたった2週間弱で亡くなっている。

    • 殉愛での2014年12月23日の記述
(p.354~355より)
 たかじんはCTやレントゲン写真を撮ったあと、処置質のベッドに寝かされ、点滴を受けた。
 そこに久保田がやってきて、「ちょっと来てください」とさくらを呼んだ。
 久保田と一緒に診察室へ入ったさくらは緊張した。彼がこれまで一度も見せたことがない表情をしていたからだ。
 久保田はレントゲン写真を見せながら、落ち着いた口調で言った。
「林さんは腹膜播種です」
 初めて聞く病名だった。
「それって--ガンですか」
「腹膜内にお米の粒くらいの小さなガンが無数にできるものです」
「治療方法はありますか」
 久保田は少し間を置いて、「ありません」と答えた。さくらは衝撃のあまり気を失いかけた。
「どうすれば、いいんですか」
「聖路加病院では、ここまでくると緩和ケアをお勧めしています」
 緩和ケア(緩和医療)とは、患者が死を迎えるまで苦痛から解放することを主眼に置いた治療で、もはや命を永らえさせるものではない。
「ハニーの時間は、あとどれくらいですか」
一、二ヶ月でしょう
 さくらは号泣した。
(中略)
「運がよければ、春まで生きられる可能性はありますか?」
「厳しいと思います」
    • 殉愛での同じく12月23日の記述(p.357より)
 久保田医師がたかじんの顔を見て、ゆっくりと言った。
「お腹に小さな癌がいっぱいできていて、もう治療はできません」
「ああ、そうですか」
たかじんは悟ったように言った。
「ぼく、死ぬんですね。あと、どれくらいですか」
一、二ヶ月です」久保田は答えた。
    • 殉愛での12月26日の記述(p.367より)
 十二月二十六日、たかじんははちみつレモンを少し飲んだだけで吐き気を催すほど、体調が悪くなっていた。何も食べられないし、飲むこともできない。
(中略)
 聖路加病院に着いたのは十二時半ごろだった。最初にたかじんを診察してくれた若い医師は「肺炎の疑いがある」と言った。それを聞いてたかじんが震えだした。肺炎になるとすぐに死ぬと思い込んでいたのだ。
 少し遅れて久保田医師がやってきた。久保田はカルテを見て、「肺炎の気があるというくらいのことなので、心配するほどのことはない」と言ってくれた。それを聞いて彼は少し安心した。
「年末年始は医者が少なくなるので、入院していたほうが安心ですよ」
 久保田は提案した。それはさくらも考えていたことだった。
「入院中に集中して緩和ケアをやりましょう。肺炎の気も十日から二週間もあればよくなります。年明けに家に帰って、一月六日から在宅看護をしましょう
 たかじんも納得し、在宅看護の申し込みをした。
その後、たかじんは1月3日午前1時に死去した。


危急時遺言作成から数日で死去

危急時遺言作成が12月30日、亡くなったのは1月3日に日付が変わってすぐという短期間。
この間は年末年始のため公証役場は閉まっていた。
(危急時遺言という性質上、このこと自体は珍しいことではない)

※危急時遺言に対する疑問についての詳細は遺言・贈与に関する疑問点を参照してください。


フェイスブックで新アカウント作成

さくら夫人はたかじんが危篤になった後に『家鋪さくら』名義でfacebookの新アカウントを作成している。
(それまでに利用していた別アカウントは2012年3月に開設したSakura S. Morita)

  • 何故このタイミングで?
最愛の夫の危篤時に、ネットを見たりfacebookをする心の余裕、物理的な時間があったさくら氏。
この時点で結婚してから2ヵ月が経過しており(マスコミ発表は12月初旬)、たかじんは既に“危急時遺言書”を作成するような状態。

  • たかじん死去約44.5時間前:2014年1月1日4:48AM 「家鋪さくら」のアカウントでFBを開設。
  • たかじん死去約7時間前: 2014年1月2日18:07PM カバー更新。いいねしたのは4人。

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下顎(かがく)呼吸

    • 殉愛での記述(p.378より)
 十二月三十一日の朝、久保田医師が診察に来たとき、たかじんは眠っていた。
 たかじんの下顎が呼吸のたびに上下しているのを見て、久保田は言った。
「これは下顎呼吸といって、自発的な呼吸ができにくくなると起こるものです。下顎呼吸が出現すると、数時間で亡くなることが多いです」
 この状態で「口移しでコーラを入れてほしい」と頼んだり、弱々しいながらもさくら夫人と会話ができ、録音も残っているたかじん(※食道ガンで肺炎を併発している患者)
    • ↓医療従事者からの疑問の声
219 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2014/11/18(火) 23:46:05.84 ID:sDYJVns70

口移しで食べさせるって何よ
普通に食介をするなら、スプーン使うでしょ

咀嚼嚥下機能に合わせて、食事形態変わるんだから
噛み砕いてやる必要がない
雑菌だらけの他人の口移しで食べさせるバカがどこにいるのよ
こんなこと黙認してた医療関係者がいるなら、会ってみたいわ
翌日、翌々日もさくら夫人と会話している。指輪も持つことができた。
たかじんは下顎呼吸が始まってから3日間生存した。


参考:モルヒネ摂取の体験談

372 名前: [] 投稿日:2015/01/01(木) 19:04:36.93 ID:Nwv72e1B0
たかじんより圧倒的()に若い30歳代
末期癌よりは軽い病気(といっても重病)でモルヒネ打ってましたが
そんな私でも、長く複雑な内容の遺書を口述できる状態ではありませんでしたよ。

一時は寝たまま組んだ足を自分で外す方法すら分からず
「足が…真っ直ぐにならない…」と泣きつくほど思考停止状態でしたw
モルヒネを使ったのは3日ほどでしたが
停止してから一週間は精神状態が不安定になったりして
正常ではなかったです。

モルヒネ投与期間は「はぁぁい」は言えたと思いますが、
内容なんて耳に入って来ませんって。
意味も分からず反射的に返事するくらいです。
私の名前が山田だったとして、「鈴木さん」と呼び掛けられても
「はぁい」と言っていたと思います。
それくらいグニャグニャです。

ちなみに、モルヒネ打つとすごく眠くなります。
全身麻酔みたいに気付いたら寝てしまいます。
モルヒネの作用なのか?
痛くて眠れなかったり病気で体力が消耗してるから
痛みが和らぐと寝てしまうのかも?
なんにせよ、モルヒネと睡眠薬のカクテルはやり過ぎだと思います。
私はモルヒネを断ってから眠れなくなって初めて睡眠薬が処方されました。

癌で亡くなった親族もモルヒネと睡眠薬のカクテルはしていませんでしたよ。
しかも下顎呼吸が始まっている患者に大量投与は危険ですよね。

この辺、K医師に説明して欲しいです。
K医師が無理なら、末期癌とモルヒネ睡眠薬に詳しい医師にお伺いしたいです。


最後のメッセージ

最後のメッセージが死後直後での報道と『殉愛』では異なっている。
  • アイラブユー(殉愛、2014年11月発売)
  • ちょ~飲み行ってくるわ(2014年1月放送胸いっぱい、胸いっぱい放送内容としてスポーツ新聞各紙でも同メッセージを報道)

    • 殉愛での記述(p.381~382より) [#p8d5e0a7]
「ハニー、苦しいから、少しねんねできるようにしてもらいたい?しようか?」
 さくらが耳元で言うと、彼は「アイラブユー」と言った。これが、たかじんの最後の言葉となった。
(中略)
日付が変わって深夜一時前、ベッドに頭をもたせかけて眠っていたさくらは、誰かに頭を撫でられて目を覚ました。起き上がると、誰もいなかった。ベッドでは、たかじんが目を閉じて微笑んでいた。
 さくらが顔を近づけると、彼は口を動かして何か言ったが、聞き取ることができなかった。でも、唇は「アイラブユー」と動いているのがわかった。
 その唇に軽くキスしてから、たかじんの頭を胸に抱くと、彼は安心したように眠りについた。体を離し、彼の口に手を当てると、息をしてなかった。

■2014年1月11日たかじん胸いっぱい「最後の言葉は『ちょ~飲みに行ってくるわ』」

■鶴瓶も2014年1月19日のラジオ番組で最後の言葉は「ちょっと飲みに行ってくるわ」だったと発言。
「最後、あの、まぁこれはほかの人が言うてるんで、言いますけど。真っ赤なジャケットを着て。で、奥さんがそばにいながらですね『あー、ちょっと飲みに行ってくるわ』言うて眠るように死んだ言うんですけども」
7:45頃から

死因は?亡くなった場所は?

  • 『殉愛』では、病院で看護師に警告されるもさくら夫人が睡眠薬を使用しそのまま息が止まった
  • 死去直後の一部報道では「自宅で食事を喉につまらせ病院に緊急搬送されたが死亡」

■殉愛での記述(p.381~382より)
 一月二日、たかじんの熱は下がらなかった。しかし逆に手足は冷え切っていた。
 夕方からは呼吸がしにくそうで、見ていて本当に苦しそうだった。現在の状態で睡眠薬を使うと、そのまま息が止まってしまう可能性もあると言われたが、少しでも楽にしてあげたいと思った。
「ハニー、苦しいから、少しねんねできるようにしてもらいたい?しようか?」
 さくらが耳元で言うと、彼は「アイラブユー」と行った。これが、たかじんの最後の言葉となった。
 睡眠薬を投与すると、静かに眠った。しかし手足はどんどん冷たくなっていった。
 日付が変わって深夜一時前、
(中略) 
 その唇に軽くキスしてから、たかじんの頭を胸に抱くと、彼は安心したように眠りについた。体を離し、彼の口に手を当てると、息をしていなかった。

■たかじん死亡直後「自宅で食事を喉につまらせ死亡」と報道した新聞、週刊誌などが数社あった

※「自宅で食事を喉につまらせ」報道詳細はたかじん死去報道まとめページを参照してください。

■Kマネの証言を元にした『ゆめいらんかね』でも正月は自宅にいたと記述されている。
ゆめいらんかねでの記述(p.251より)
 年が明けた一四年一月三日の昼前。小丸の携帯電話に、のぞみ(注:著書内でのさくらの仮名)から連絡があった。たかじんは年始は東京のマンションで過ごしていたが、容態が急変し、三日午前一時半に救急搬送された病院で死亡が確認された。遺体はその日のうちにマンションに運ばれた。

■スレやトピで挙がっていた疑問点
  • 下顎呼吸が始まったのが本当に12月31日だったのだとしたら、なぜ自宅に戻れたのか。
    • →北野誠が「病室で紅白を見て“綾瀬はるか、これどやねん”とツッコミを入れていた」と番組で証言している
  • 医師が少なくなる年末年始は病院で過ごし、在宅介護は1月6日からではなかったのか。
  • 『殉愛』と一部の新聞報道、週刊誌、『ゆめいらんかね』の内容に相違がある理由は?


たかじん死去時の謎

医療体制の謎


  • 亡くなっているのにナースコールするまで誰も来なかったのか
  危篤状態の患者にモニターもつけずほったらかしだったのか。
  • 自宅で待機していた久保田医師を呼んでから死亡宣告
  深夜とはいえ、当直医はいなかったのか? 久保田医師が来るのを待った理由は?

    • 殉愛での記述(p.383~384)
 たかじんが息をしなくなっているのに気付いたさくらは、すぐにナースコールのボタンを押した。まもなく若い看護師がやってきた。
 彼の呼吸が止まっていることを告げると、看護師は心拍を調べてから、部屋を出てナースマネージャーを呼びに行った。寺田朝子ナースマネージャーがやってきて同じように心拍を確認してから、「久保田先生を呼びましょう」と言った。
 このとき、久保田医師は自宅にいたが、連絡を受けてすぐに病院に駆けつけた。
 久保田は脈をとり、心臓の音を聴き、瞳孔に光を当てて反射の有無を確認した。それから首から下げていたPHSの時計を見て、「一時三十四分です」と言った。
「お亡くなりになりました」
 そして、たかじんの顔をみて一礼した。
「林さん、お疲れさまでした」
 そして、さくらの方を向いて言った。
「さくらさん、ご苦労さまでした」
 さくらは声を上げて泣いた。久保田もその隣にいた若い医師も、二人の看護師も黙って、さくらが泣くのを見守っていた。泣いていたのは一分ほどだった。
 さくらは涙を拭くと、自分自身に言い聞かせるように言った。
「今から、やらなければならないことをやります」
「私は死亡診断書を書きます」
 久保田はそう言って病室を出た。

湯灌

  • 患者用の風呂で遺体を湯灌?
 聖路加に遺体専用の湯灌できる設備はあるのか。患者用の風呂では、衛生上問題は?
  • 患者の家族が湯灌に参加
 聖路加には家族が湯灌に参加できるサービスが一般的にあるのか?
→上記のサイトによると、患者の身内がグリーフケアに参加するケースは無いようです。

    • スレ★95より 聖路加医師の身内という奥の話
543: 可愛い奥様[sage] 2014/12/13(土) 09:16:44.11 ID:pE7uxLCj0 [1/2]
身内が聖路加の医師ですが、この件について知りませんでした
というか身内は、そもそもやしきたかじんを知りませんでした
「巷で大騒ぎなのに知らないなんて世間知らずよ!」と発破をかけてみたところ、食堂であった他科の医師数名に聞いてみたそうです
やはり知らなかったとのこと
ちなみに、赴任したばかりのK医師のことも知らないようなので、あまりお役に立てそうにないと思いました
ナースマネージャーは、テキパキと仕事のできる聖路加生え抜きのしっかりとした方のようです
とりあえず湯灌のことを聞いてみましたが、「あー、まあ(湯灌専用の風呂が)あるかもね」と適当な答えorz
チャートを見たり個人情報が絡むことはさすがに無理でも、何か役に立てることがあるとよいのですが

593: 可愛い奥様[sage] 2014/12/13(土) 09:56:30.13 ID:pE7uxLCj0 [2/2]
>>557
偽名というのはよくあることのようですね
ただ、身内(無名な末端医師です)は若手時代にも有名人を担当したりしたことが何度かあったようなので、すべての有名人が特別扱いというわけではなさそうです

ちなみに、VIP室所属の専属のナースという方々がいるそうです
どうでもいい情報しかなくて無念…

  • 死後硬直がすでにあったのはおかしいのでは?
  • 紫色だった手足がマッサージで元に戻りになることはあり得ないのではないか

    • 殉愛での記述(p.384より)
 さくらは葬儀社に電話して、車の手配を頼んだ。
 寺田ナースマネージャーが「お風呂に入れてあげる?」と訊いた。さくらが「いいんですか?」と訊くと、彼女はうなずいた。
 寺田が持ってきた入浴用の移動ベッドにたかじんを乗せ、病室を出た。
 入浴室で彼の服を脱がせたあと、湯船に入れた。病院ではベッドに寝かせたままバスタブに沈めることができる。
 さくらと寺田は石鹸とタオルでたかじんの体を洗い、頭にシャンプーを付けて洗髪し、トリートメントもした。
 寺田はこのときのさくらの様子をこう語った。
「久保田先生から亡くなりましたと言われたときは、ワッと泣かれましたが、泣きやんだあとは落ち着いて、取り乱したりするようなことはありませんでした。体を洗っているときは、たかじんさんとの想い出話をされていました」
 さくらは洗いながら体をマッサージした。紫色になっていた手足は血色を取り戻し、曲がっていた手の指も丹念に揉みほぐすと、まっすぐになった。
 体を拭き、パジャマを着せ、手を胸の上に組ませた。これで神様の元へ行く準備が整った。そしてたかじんと一緒に病室へ戻り、部屋の片付けをした。

納体袋

  • たかじんの遺体は棺ではなく袋に入れられ、病院から自宅へ
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通常、葬儀社は遺体に布をかぶせてストレッチャーで運ぶ。
マンションのエレベーターにも扉がついており、ストレッチャーが入れられるようになっている。

■納体袋を使用するケース
  • 腐乱死体、損傷が激しい遺体などの場合
  • 警察による検視が行われた場合
 (自宅で死亡後病院に緊急搬送された場合も、検視が行われる事が多い)
※棺を購入する代金と比較しても納体袋は決して安いものではなく、しかも火葬時には棺に入れられていた。
※似たような形状のものに布担架があるが、こちらは生きている人間に使用するものであり、息ができるように顔の部分に被いがない。

  • 参考:大阪府警の刑事さんに聞いた話
989 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2015/06/15(月) 19:25:36.12 ID:RVbE4BpJ0 [1/3]
長文すみません。
大阪府警の刑事さんと話をする機会があり、少し聞いてみました。
変死などの扱いについては各地方で若干の違いがあるそうです。これらは大阪府警では、というお話です。

Q.自宅で食べ物を喉に詰まらせ救急車で病院に運ばれたが死亡。こういった場合はその後どういう流れになりますか?
A.病院から警察に変死の連絡が入り、ご遺体を引き取りに行きます。検死解剖をして問題が無いか調べます。
Q.ご遺体を運ぶのは棺桶ですか?納体袋ですか?
A.納体袋です。
Q.警察の検死が終わり、自宅にご遺体を連れて帰る時は何に入れますか?
A.ご遺族と葬儀屋での話になりますが、通常は棺桶に入れておられます。
Q.警察が引き取る前に病院内でご遺族がご遺族をお風呂に入れて綺麗にしてあげる事もありますか?
A.あり得ません。

懇意にしていた医師が、明らかにいつ死んでもおかしくないような(例えば末期の癌)患者さんが亡くなった時に、検死解剖をするのが(ご遺族にとって)可哀想だと判断した時などは変死として通報をせずに院内で死亡診断書を書いてあげる事もあるそうです。

以上の事から、たかじんが自宅で亡くなったとしても病院で亡くなったとしても、病院側は変死として通報せずに医師が死亡診断書を書いたのでしょうか?
どういう事情があったにせよ、霊安室から納体袋に入れられて帰宅させられた、たかじんが不憫でなりません。

995 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2015/06/15(月) 19:28:57.85 ID:RVbE4BpJ0 [3/3]
>>989
不慣れですみません!

Q.警察が引き取る前に病院内でご遺族がご遺族をお風呂に入れて綺麗にしてあげる事もありますか?

ご遺族がご遺体をお風呂に入れて
の間違いです

    • 殉愛での記述(p.385より)
 午前四時ごろ、葬儀社の人が来た。事務手続きを終えて、たかじんを車に乗せたのは五時すぎだった。
 葬儀社の人が遺体を袋に入れてファスナーを閉めるのを見て、さくらはたまらない気持ちになった。
「ちょっとの間だけ、袋に入れてごめんね。怖くないよ、横にいるから」とさくらは言った。
 ワゴン車の後ろに遺体を乗せ、さくらはその横に座った。マンションに戻る途中、さくらはファスナーを少し開けた。
「こんなことを言うと変に思われますが、ハニーの息が詰まるような気がしたんです」
 さくらはそのときの気持ちを私にそう語った。


たかじん死去直後、東京で

最後に遺体と対面できた人物たち

■火葬されるまでにさくら夫人から連絡があり、たかじんの遺体に面会できた人物は5人。

  • 1月3日:松本哲朗、吉村弁護士
  • 1月4日:たかじん長女とその夫
  • 1月5日:たかじん前妻(火葬前に松本哲朗、吉村弁護士、たかじん長女も再度マンションに集合)

■そのほか、鶴瓶も1月3日の死去時にハワイに連絡が来たとラジオで証言している。
(鶴瓶ラジオは上記の最後のメッセージ欄を参照)

■3日には大阪にいたK氏にも連絡している。だが、「訃報や葬儀の告知もあるのだから、マネージャーにはすぐに連絡をするのが常識であろう(殉愛の真実p.102)」にもかかわらず、午前1時の死亡後、連絡したのは10時間あまり経った昼頃だった。K氏はその後、師匠の遺体と対面することはかなわなかった。

『ゆめいらんかね』での描写

ゆめいらんかねp251~抜粋
 年が明けた14年1月3日の昼前。Kマネ(※本では実名)の携帯電話に、のぞみ(※さくらのこと)から連絡があった。その日の未明に、たかじんが亡くなったとの知らせだった。
たかじんは年始は東京のマンションで過ごしていたが、容態が急変し、3日午前1時半に救急搬送された病院で死亡が確認された。
 上京したkがマンションに着くと、遺体を見る間もなく、今後の方針を巡ってのぞみと言い合いになった。のぞみは、たかじんの遺言で、のぞみとたかじんが親しかった大阪の社長だけで密葬を済ませてくれと言われていると主張した。
 (Kは)闘病中も、たかじんに関するすべてのことは自分を通してほしい、と言われていた。
 翌4日、たかじんの前妻の智子の携帯電話に、のぞみから連絡が入った。智子が振り返る。「私は(たかじんから)連絡もないので、気にはなっていたのでドキッとしたんです。奥さんは最初、亡くなったということをおっしゃらずに、『とりあえず来てください』と言うだけだったんですよ。」
 食道ガンが発覚してから自宅で相談を受けた医師の伊東も、曜子と同じ心境だった。(略)「テレビに復帰したときに『当選おめでとう!いっぺん会おうか』という電話がかかってきたんですよ。僕はひたすら連絡を待ったんですけど、結局再発したから会えないままでした。最期くらいは押しかけて行ってもよかったかなというのは今でも後悔してますね」
 それまでの関係から言えば、たかじんから何らかの連絡があってもおかしくはなかった。軽い風邪からガンに至るまで、逐一相談を受けていたからである。炎症の数値が通常の三十倍になっているのに、
何ら対応できていなかったことも伊東には腑に落ちなかった。友人、医師としてもっとでいることがあったのではないか。疑念と心残りが、今も伊東を苛んでいる。
 翌五日、五反田で密葬がとりおこなわれた。参列したのは、妻ののぞみ、たかじんの知己だった大阪の社長、前日に死亡を知らされたばかりの智子、最初の妻の娘・曜子とその夫、弁護士ら六人だけだった。

スレやトピで挙がった疑問点

  • 前妻を呼んでいる理由は?
たかじんの遺体に対面できたのは、たった5人とかなり限られていた。
たかじん実母や兄弟といった血縁者を呼ばず、前妻に連絡を入れた理由は不明。
また、WiLL2015年2月号の手記には“前妻へ財産を残すとエンディングノートに記載されていた”とも言っている。
 さくらは松本にエンディングノートを見せ、娘さんと前妻を呼ぶべきかを相談した。
「ハニーはさくら以外の親族は誰も呼ぶなって言って書いてたんだけど、哲朗さんはどう思う?」
「じんちゃんは前の奥さんに未練はないけど、感謝してる部分はある。よく殴ったし、謝りたいと思ってるかもしれん」
「そうだったの」
「それと、たしかにじんちゃんは娘のことは嫌っていたけど--でも、娘がどんな人間であっても、さくらちゃんの思いやりとして呼んでやったらええと思う」
「そうしても、ハニーは怒んないよね」
「そう思う」
 それを訊いて、さくらは火葬には前妻も娘も呼ぼうと決めた。
 午後八時すぎに松本は帰っていった。

  • たかじん母を除外
前妻と長女を呼ぶことをさくらが松本氏に相談する場面が「殉愛」に出てくる一方、
たかじんの実母には死亡したことさえ知らせるなと箝口令を敷く描写がある。
    • 殉愛での記述(p.395~396より)
「そんなことより、おばあちゃんとおじさんにいつ知らせるのよ」
 Hがさくらに言った。
「やしきの遺志で、まずテレビ局のスタッフの皆さんに知らせなければならないので、親族の方に知らせるのは、七日の夕方以降まで待ってほしいのです」
 弁護士も「はい」と言い、松本も「そらそうや」と同意した。すると、前妻が突然、口を開いた。
「私が言うのもなんやけど、じんちゃんは口ではそう言ったかもしれないけど、本心は違う。家族の立場から言わせてもらうと、じんちゃんはすごく優しい人だから、皆に知らせてほしいと思ってるはず」
「でもやしきはまずスタッフに知らせてほしいと言ったんです。それ以外には連絡するなと言われたのに、ここにおられる皆さんには連絡したんです」
「妻が連絡するのは当たり前やろう。お父さんが連絡するなって言ったとしても、それを説得するのが妻の役目ちゃうん」
 Hが言うと、前妻も同調した。
「テレビ局のスタッフよりも、親族のほうが大事やろう」
 Hはきつい調子で言うと、弁護士に向かって、「そうでしょう」と同意を求めたが、彼は「私が口を出すことはできません」と答えた。
 「とにかく、この二年間支えてくれたスタッフに知らせるというハニーの約束があるので、明後日まで待ってください」
「ほんなら、そのあと必ず連絡してや」
 Hは念を押すように言った。
 食事のあとは解散となったが、Hは「遺言書のことを聞きたいから」と言って、弁護士と残った。
「あんなんやから、じんちゃんも嫌いになったんや」
 松本は呆れたように言った。
    • 「Hちゃんは、こんな関西弁でワーッというような言い方はしてませんでしたね。『おばあちゃんとおじさんたちは、どこに手を合わせればいいんですか?』っていう感じでさくらさんに聞いたんですよ。そしたらさくらさんがカーッとなって、『私にだって優先順位があるんですよ。あのマンションの(処分の)こともあるし、このマンションのこともあるし。ハニーは娘さんなんて(密葬に)呼びたくなかったのに、呼んだだけでも感謝していただきたいです』とおっしゃったんです」「むしろさくらさんのほうが、急にキレて豹変するような感じでしたね」と前妻さんが証言している(殉愛の真実p.119~120)
    • たかじんさんの母親を始め親族を火葬に呼ばなかったことを気に病む娘さんに対して、興奮した様子で「私には優先順位があるんです。親族の方々には会いたくないって、ハニーが言っていたんです。ハニーは『親族とは一生会わなくていい、絶対に呼ぶな』って言っていたんです。私の意思でお嬢さんを呼んで差し上げたんだから、それだけでも感謝してもらわなければ困ります」とまくしたてた(週刊文春 2014年1月23日号)



1月3日の松本哲朗氏到着の謎

  • 松本氏は1月3日、京都から東京へ駆け付けた
2014年1月3日午前6時半頃、有楽町駅で火災が発生し、約5時間のあいだ東海道新幹線が運休。
正月のUターンラッシュとも重なり、東海道新幹線の各駅では足止めされた乗客であふれた。
高速道路、航空便なども通常のUターンラッシュに加え、振り替え客で混雑を極めた。
しかし『殉愛』では、有楽町駅の火災のことは、何も触れられていない。

殉愛での記述(p.387より)
 午後、たかじんの親友・松本哲朗に電話した。
「哲朗さん、ハニーがちょっと話たいことがあるって言ってます。今日、来てくれますか」
「おお、すぐ行く」
 そのあとKと弁護士に電話して、たかじんの死を伝えた。Kは「ああ、そうすか。夕方伺います。お疲れ様でした」と、あっさりした調子で言った。弁護士も「今日、伺います」とのことだった。娘にも電話したが、つながらなかった。
 午後七時前、京都から松本がやってきた。彼は土産の漬け物を差し出した。
「あけましておめでとうさん」
 松本に言われて、さくらは、ああ、今日は正月だったのだ、と思った。
 松本が六本木のマンションに来るのは初めてだった。

裁判での松本氏の陳述書より

473: 可愛い奥様@ [] 2017/02/18(土) 18:01:31.93 ID:8Mr6IN2o0
>>434
乙28号証 松本哲朗陳述書
(※中略)

4.たかじんが亡くなった後の娘の態度
平成26年1月3日に、さくらさんに電話で東京まで来るように呼ばれました。
私はたかじんが亡くなっていることを知らずに、おみやげを買い東京に向かいました。
たしか新幹線が止まっていて、飛行機で東京に行きました。東京のマンションの部屋に到着して、初めて、さくらさんからたかじんが亡くなったことを聞き、遺体と対面しました。
たかじんのエンディングノートや、たかじんが書いたノートは、その日にマンションで見ています。
エンディングノートには「誰も呼ぶな、哲だけ呼べ」といった記載があったのですが、さくらさんは娘さん、前の奥さんには連絡を入れると決めていたようでした。
さくらさんが持っていた前の奥さんの電話番号が違っていたので、私が正しい番号を教えました。
その後、さくらさんから連絡が行ったためだと思われますが、前の奥さんから連絡があって、さくらさんから葬儀に来るように連絡があったけどどうしようというので、行ったらいいと伝えた。
※編註:適宜改行を加えてあります


■当日のニュース
東京駅から最新情報 東海道新幹線 5時間遅れも
改札前には多くの利用客でごった返している。JR有楽町駅の火災の影響で、東海道新幹線は100本以上が運休した。午前11時55分に運転を再開したが、上り到着が最大5時間程度、下り出発が最大5時間半程度の遅れが出ている。名古屋からの乗客たちは「朝イチでディズニーランドに行く予定だったが昼になってしまった」「6時間くらい(車内にいた)」と疲れた様子で話した。JR東海では混雑緩和のため、東京~新大阪間などで臨時列車を運行して対応している。
混雑はあさってまで「高速」と「空」もUターンピーク
空の便は各航空会社とも、国内各地から羽田空港に向かう午後の便はほぼ満席となっている。Uターンのピークはあさってまで続く見込み。高速道路はあすまでUターンのピーク。日本道路交通情報センターによると、東名高速・海老名SA(上り)付近で34km、豊川IC(上り)付近で30kmの渋滞となっている。

■当日の京都駅の様子を撮った動画
東海道新幹線が大幅に遅延したため、夜9時の時点でもまだ混乱が続いている。


スレに寄せられたタレコミ

62 名前:可愛い奥様 [sage] :2014/11/14(金) 01:19:33.05 ID:HA6Fz0if0
警察は、チョルがたかじん死んだ時、既に東京おったかどうかしらべろ
後で駆けつけたのはウソ
大阪府警やのうて、警視庁やったらまだマシ

617 :可愛い奥様:2014/11/14(金) 05:39:15.16 ID:LTAFgo3Z0
例の人物で検索したら何か出てきた

たかじんは、東京の自宅で死亡した。
さくらは119番通報をしが、京都在住の松本哲朗に電話連絡して東京に呼び寄せている。
(この1月3日は、有楽町の火事ので新幹線が止まった日である)
http://juzji.jugem.jp/?eid=6131&pagenum=1http://juzji.jugem.jp/?eid=6130
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53 :可愛い奥様:2014/11/13(木) 03:08:54.71 ID:QUZ72yHQ0
たかじんの遺体を見ているのは、医療関係者と葬儀屋以外だと
1月3日(亡くなった当日) 松本 K
4日 娘Hが自宅を訪ねる
5日(火葬) 娘H 娘Hの夫 弁護士(さくら側) 松本

本の中ではこうなってる
証言はまたしてもさくらと松本のみ

U氏入室を拒否し、Kマネと言い合い

  • U氏にたかじんの遺体と対面させなかったのはなぜか
すでにたかじん死亡を知っているU氏が、Kマネとともにマンション下へ来るが、なぜか入室をさくら夫人に拒否される。
その理由は「呼んでないから」「マスコミに知られるから」。
Kマネは、このようなさくら夫人の言動に動揺し、遺体と最後に対面することもままならないまま、20年以上仕えた師匠との最後の別れを迎えた。

  • 殉愛での記述(p.388~389より)
 そのとき、インターホンが鳴った。Kだった。
 玄関を開けると、Kが言った。
「Uさんも下に来てるんで。呼んできますわ」
「待ってください。Uさんはお呼びしてないので、入れられません」
 Kは顔色を変えた。
「クリスマスの日に、誰にも言うなって、ハニーに言われたでしょう」
「ああ、言われたで」
「じゃあ、Uさんに言ってもらっても困ります」
「Uさんを師匠に会わせるんや」
「Uさんをハニーに会わせるわけにはいきません」
「なんでやねん。皆、呼んだったらええやんけ」
「ハニーは密葬を希望しています。皆に言うと報道されます。それはハニーの意思ではありません。Kさん、わからないんですか」
「何じゃあ、お前!」Kは大きな声を上げた。「師匠の気持ちは俺が一番わかっとるんや。俺のオカンが死んだときみたいに、みんな呼んで顔触らせるんや」
「Kさんのお母さんと一緒にしないでください」さくらも負けずに大きな声で言い返した。「やしきたかじんは私の夫です。妻の私が、夫の言われた通りにやります」
「お前なんか、妻でもなんでもないわ!俺のほうが師匠をずっと思っとるわ」
「それなら、どうして、彼が一番大変なときに女遊びなんかしてたんですか」
「なんでお前にそんなこと言われなあかんねん!師匠が何も言わへんかったんやから、ええやないか」
 Kは廊下に響くくらいの大きな声で怒鳴った。
「静かにしてください。ハニーが寝てるんですよ」
 Kはぶすっとした。
「ハニーから私を助けろって言われたでしょう。誰にも言うなって言われたでしょう」
「うるさい!」とKは言った。「誰がお前なんか助けるか。会社も何も勝手にせいや。俺は辞める」
「わかりました。それでは、後日やしきたかじんが亡くなったことを知らせるために、会社関係のリストを出してください。それくらいはしてください」
「何でそんなんせなあかんねん。お前一人でやれや。P.I.Sも一人でやれ。俺は辞めたらあ!」
 Kはそう言い捨てて、帰っていった。
  • ゆめいらんかねでの記述 ※実名はイニシャル表記に変更、のぞみ=さくら
上京したKがマンションに着くと、遺体を見る間もなく、
今後の方針を巡ってのぞみと言い合いになった。のぞみは、たかじんの遺言で、のぞみとたかじんが親しかった大阪の会社社長だけで密葬を済ませてくれと言われていると主張した。
Kは「そんなわけにはいかないでしょ。事務所を預かった人間としては、最後に世話になった方々に対面してもらうのが僕の最後の仕事です」と反論した。
Kが危惧していたことが現実になった。死んだあと、事務所のことは任せてほしいとたかじんに言ったのは、のぞみが何かにつけて容かいしてくるのではないかと予測していたからだった。
闘病中も、たかじんに関するすべてのことは自分を通してほしい、と言われていた。これではマネージャーの立場がない。Kはのぞみから連絡を受け、上京した段階で、すぐに連絡しなければならない人物をリストアップしていた。たかじんのマネージャーとしては当然の準備である。
ところが知人への連絡をのぞみに一蹴されてしまう。怒りと悲しみがごっちゃになり、師匠の顔を見ることもなく、マンションを飛び出した。


  • スレ165より 関西業界奥のタレコミ
96: 可愛い奥様 [age] 2015/01/17(土) 10:06:03.23 ID:kkVJvdqT0

関西業界奥です。以下聞いた話です。
Kマネ、闘病中も各所からの問い合わせに答えたり、復帰プランをたかじんさんと考えたり
たかじんさんの使い走りをしたり、病院にも付き添ったりしていましたよ(完全看護なのでご機嫌うかがい)
1度目の休養中はそんな感じ

再休養中は連絡がとれなくなったようで、めっちゃ心配してて
連絡がきた!と喜んだら「結婚した」と‥

あと、2013年10月~11月にたかじんさんが「ラジオをやりたい」と仰ったので
某局に話を持って行ってかなりのとこまで決まっていたそうです
ちなみにたかじんさんの死後、さくらは「ハニーがラジオをするはずがない!」と激怒
ラジオだと冠料や写真の使用料が取れませんからね

3日にKマネがたかじんさんの顔を見ずに帰った件ですが、
無理やり部屋に上がったら、さくらに不法侵入で訴えられたかもしれませんよ
師匠の亡くなった日に警察沙汰は如何なものかと思うのですが‥
一般常識とかけ離れていますか?


葬儀についての疑問点

通夜はしていない?

  • たかじん死去日に、通夜を行った描写がない
殉愛ではたかじんの《最大の親友》として描かれている松本哲朗氏は、午後七時に訪問し八時に帰っている。
Kマネは松本氏が滞在していた間にやってきて、さくら夫人と口論した後にすぐ退室している(他の誰かを呼んだ記述はない)
殉愛では、風呂の記述のあとには特にこれといった描写もなく、その後いきなり4日の夜の記述が始まっている。

  • 吉村弁護士は何時に来たのか?
たかじん死去後、松本氏に電話したあとで、Kマネと吉村弁護士にも電話してたかじんの死を伝えている。
弁護士は「今日、伺います」と返事しているが、殉愛には弁護士の到着時刻についての記述はない。

    • 殉愛での記述(p.390~391より)
 午後八時すぎに松本は帰っていった。
 その夜、さくらはベッドの横に座って、たかじんに楽しかった想い出話をした。しかしたかじんは何も答えなかった。さくらは「起きて」と言った。
「さくらを残してどこへ行くの?」
 さくらにはまだ、たかじんが死んだという実感がなかった。
 その夜、風呂に入るときも、バスルームの戸を開けたままにしておいた。たかじんがさくらを見つけられずに不安になるかもしれないと思ったからだ。
 
 一月4日の夜、たかじんの娘Hがやってきた。互いに顔を合わせるのは初めてだった。


直葬

  • なぜ遺言通り密葬しなかったのか
たかじんの遺言書には、「遺言者の葬儀は《密葬》で行うこととする」と明記されている。
《密葬》→親族や親しい知人だけで行う葬儀のことである。
たかじんの場合は遺体をマンションから火葬場へ直接運ばれているので《直葬》である。

  • 素早く火葬
年末年始は、通常火葬の予約が1週間待ちと言われている。
高額なVIP用の炉に空きがあった可能性はあるが、3日に亡くなったたかじんは5日に火葬されている。

  • 列席者への飲食振舞い
火葬の待ち時間に列席者へふるまう飲食物や、その後の精進落としも喪主によって用意されていなかったため、
全てたかじんの長女が「お腹がすいた」と発言して自ら手配した。
しかし『殉愛』ではそのような長女の気遣いに対し、非難するような描写をしている。
※列席者の大半は大阪から東京へ駆け付けている
火葬が行われた桐ヶ谷斎場には飲食付きのプランもある。
※ちなみにキリスト教の葬儀では“精進落とし”は無いが、茶菓子を用意してもてなすのが一般的である
たかじんが送られた『直葬』は上記の桐ヶ谷斎場HPによると約20万円ほどの簡素なプラン

参考:キリスト教式の葬儀

さくら氏は殉愛の記述によるとカトリック信者であるが、キリスト教でも一応 “通夜” にあたるものは存在する。
(自宅葬の時は近隣の教会から神父を招き、祈りを捧げる)
※ちなみに六本木のマンションから近いのはカトリック麻布教会またはフランシスカン・チャペル・センターである。
たかじんの場合は火葬場でも立ち会いは係員のみで、神父が祈りを捧げる描写はない。桐ヶ谷斎場では3万円ほどのオプションで神父を呼ぶことができる。

    • 殉愛での記述(p.392~393より)
 一月五日、朝九時すぎに、松本、前妻、H(娘)とその夫、弁護士がマンションに集まった。
(中略)
 午前十一時すぎに葬儀社の人がやってきた。
「まもなく出発します」
(中略)
 品川の火葬場には十二時すぎに着いた。
 午後1時に予約を入れていたが、正月休みで年末に亡くなった人がずっと順番待ちで詰まっていて、結局、火葬が始まったのは二時すぎだった。
 さくらは棺の中に、たかじんが好きだったものを入れた。さくらが退院祝いにプレゼントしたパイプ、タバコ(スーパーライト・ピース)、さくらが書いた手紙、テレビのリモコンとTVガイド、腕時計、帽子、レギュラー番組を録画したDVDなどだ。テレビのリモコンを入れたのは、病室でも彼がずっとそれを握っていたからだ。最後に、顔にサングラスをかけてあげた。
 棺が火葬炉に入れられたとき、さくらは過呼吸になってうずくまった。前妻が「大丈夫?」と言って抱きかかえてくれた。
 待合室に戻ると、Hは「お腹すいた」と言って、ビールとつまみを頼んだ。そして泣いているさくらに向かって「喪主なんやから、しっかりしいや」と言った。
 しばらくして、係の人が「もうすぐ骨上げです」と全員を呼んだ。
(中略)
 骨上げが終わると、Hが「お腹すいたから、ごはん食べに行こう」と言った。
 一行は二台のタクシーに分乗し、品川プリンスホテル内の和食店に入った。
※棺に入れた副葬品に、リモコンや時計、サングラスなどが含まれている。
このような副葬品は通常は禁止されている火葬場が多い(遺族の強い申し出があれば臨機応変に対応することもある)


マカロン発言と結構グロいよ発言

  • マカロン発言

    • 殉愛での記述(p.393~394より)
 このときのさくらの様子は、その月の終わりに発表された『週刊文春』の記事にこう書かれた。
「彼女は遺骨を見るや、へらへら笑って『うわぁ~、焼き上がったマカロンみた~い』と言い放ったそうなのです。これには参列者全員が唖然としたそうですよ(たかじんさんの親友)」
 これは真っ赤な嘘である。
 この場に立ち会っていた松本は怒りを隠さなかった。
「へらへら笑うなんてありえない!さくらちゃんはずっと泣いていた。遺骨がでてきたときは、ぼくの左後ろにいて、『かわいそう』と言ったんです。だいたい、たかじんさんの親友なんて書かれたら、ぼくしかいない。訴えたいくらいですよ」
 記者の捏造でないとしたら、彼はこんな証言を誰から聞いたのだろうか。記事全体の「さくら」(記事中ではS夫人」となっている)像は、かなりひどい。露骨に悪意に満ちている。また、「彼女自身の口から『私は韓国人だ』ということを聞いたことがあります」という記述もある。前にも書いたように、彼女は日本国籍である。また「密葬」なんてたかじんの意思ではないはずだ、という内容の北新地のママの証言というものまで載せていた。
    • 2015年8月31日 さくら氏→打越氏第2回口頭弁論にて、Kマネの証言
      • 自分は火葬に立ち会ってない。
      • 文春の記事を読んでY弁護士に確認したところ、あの中(火葬の場にいた人物)でそんなことを喋ってしまう人はMしか居ないだろうとY弁護士は言った
      • 前の奥さんも「ほんまに言ったよ」、娘さんも「聞いた」と言っていた

  • 結構グロいよ発言について
前妻は『殉愛の真実』で、この件に関してはっきりと否定している。 

    • 殉愛での記述(p.393より)
 しばらくして、係の人が「もうすぐ骨揚げです」と全員を呼んだ。
 炉の前で、前妻が「見たことある?人体模型みたいで、結構グロいよ」とさくらに耳打ちした。しかし出てきた骨はバラバラだった。Hは「なんや、ボロボロやん」と言い、係の人に「火力が強いんですか」と聞いた。
 しかしさくらは大きな衝撃を受けていた。
 --ハニーがいなくなった!
 体もない。髪の毛もない--私を呼ぶ声もなくなった。さくらはくずおれそうになるのを懸命にこらえた。

    • 「殉愛の真実」での記述(p.117より)
 これまでの人生で、「グロい」という言葉を使ったことがないです。これ、若者の言葉ですよね。Hちゃんも、「ボロボロ」とか言ってないですし。骨上げのときは、みんな沈黙して、お骨を拾ってたんで、「グロい」とか「ボロボロ」とか、そんな発言はありえないですねえ。これは嘘ですねえ。
※関西と関東では、炉が違う。一般的に関西では「台車式」関東では「ロストル式」を採用しており、遺骨の状態に違いが出る。また、関西では主要な骨のみ骨壺に収めるが、関東ではほぼすべてを収める。(←前項の参考サイトを参照)

※当初、マカロン発言を文春にリークしたのはたかじんのマネージャー経由で話を聞いたアズマラ氏とされていたが2015年8月31日の打越氏の裁判で「松本が文春にリークした」説が出た。

※マカロン発言を聞いたのは他にY弁護士・娘の夫とされている。→桐ヶ谷斎場の職員も聞いた可能性?(殉愛ではたかじんの主治医・ナースの取材を行っているが、桐ヶ谷斎場関係者へは取材をしていない)

たかじんの遺骨を大阪へ持ち帰ってから

遥洋子

  • 遥洋子(たかじんとプライベートでの親交がない)だけが呼ばれる
マスコミ発表前には、ごく限られた人間にしかたかじんの死が知らされていない。
TV関係者以外の友人知人にもほとんど知らせないなか、さくら夫人は遥洋子を自宅に呼んで、おこずかいまで渡している。
2013年10月のたかじん誕生日も、TV局と制作会社関係者以外でさくら夫人に招待されたのは、遥洋子だけであった。

    • 殉愛での記述(p.397より)
 車中でタレントの遥洋子に宛ててメールを打った。
「明日、お茶しないかとハニーが言ってます。よかったら朝十一時に来てください。ケーキは何が好きですか?」
 これはたかじんに指示されていたことだった。
「洋子はスタッフにも友達はいてへんし、多分、ぼくの訃報を一人でニュースか何かで聞くことになると思う。それはあまりにもかわいそうや。そやから、もしぼくが死んだら、洋子にだけは、さくらの口から伝えてやってくれ」
 すぐに遥洋子から返信が来た。
「やったー!会いに行く、ケーキは何でもいい。楽しみにしてる」
 さくらは彼女に申し訳なくて、少し泣いた。 
    • 殉愛での記述(p.400~402より)
 一月七日の朝十一時、遥洋子が大きな花束を持ってやってきた。
「結婚おめでとう!」
 玄関に入るなり、彼女は明るい声で言った。
(中略)
「去年の誕生日パーティ以来やね」洋子は言った。「で、たかじんさんは?」
「実は三日に亡くなりました」
 洋子は「はー?」と言った。「嘘やろ。なんで?」
「洋子さんがニュースを通して知ることがないように、私の口から伝えろとハニーに言われたいたので、そうしました。嘘をついてごめんなさい」
 洋子は黙ってうなずいた。さくらはたかじんが亡くなるまでの経緯を話した。
「会わせてくれる?」
 さくらは隣の部屋に案内した。
「たかじんさん、来たよ。会いに来ましたよ」と洋子は遺骨に向かって言った。「こんな綺麗な朝に、こんな綺麗な音楽と美味しい紅茶をだされて、たかじんさんが亡くなったと聞かされるとは思ってなかったよ」
 洋子は手を合わせた。
「たかじんさんにしてもらったことはいっぱいあるのに、何もお返ししないまま、逝ってしまわれて--ごめんなさい。ありがとう」
 洋子は「今日はとりあえず帰ります」と言って、マンションを出た。
 五分後、彼女から電話があった。電話の向こうで号泣していた。
「たかじんさん、優しいよな。もし、一人で暗い部屋でたかじんさんが死んだと知ったら、無理!」
 あとは言葉にならなかった。
「運転、大丈夫ですか。部屋に戻りますか」
「いや、大丈夫。落ち着いてから、運転して帰る。今日はありがとう」

■2014年1月11日たかじん胸いっぱい追悼
動画は上記の最後のメッセージを参照

■2014年11月8日たかじんNOマネーGOLD BLACK - 緊急特別企画 知られざる最後の741日と愛のエピソード -(殉愛特集)

TV局と制作会社関係者のみ呼ぶ

1月7日午後11時の訃報公式発表前に、自宅に呼ばれて骨壺と対面した人物一覧

1月6日:中澤、木村、長谷川、日置、山西、徳岡、田中(冠番組TVプロデューサーたち)
1月7日:遥洋子、井関、相原、山西ら6日のメンバー7名全員、山田晃

たかじん母と親族へは、1月7日の夜にさくら夫人がたかじん長女へ電話し「やしきたかじんが亡くなったことをご親族にお伝えしてください(殉愛p.402)」と伝えられた。

    • 週刊文春 2014年1月23日号より
[以下引用]
当初S夫人は、たかじんの死をごく少数の関係者にしか伝えていなかった。

「たかじんさんの死を3日に知らされたのは、長年付き合いのあった弁護士、
古くからの友人である大阪の会社社長、30年来のマネージャー、そして前妻、
たかじんさんと前々妻との間の娘だけだったというのです」(たかじんの親友)

たが当初、S夫人は彼らにすら、なぜかたかじんの死を隠そうとしたという。

「Sさんは最初に知らせた5人のうちある人への電話でも『すぐに来て欲しい』としか言わなかったそうです。
『病状はそんなに悪いのか。すぐに来てほしいと言われても都合がつかない』と言うと、
『実は亡くなったんです。火葬に来てください』とようやく打ち明けたそうです。
同時に『亡くなったことは絶対に口外しないで欲しい』と口止めもしたらしい」(在阪テレビ局関係者)
「火葬の際のSさんの振る舞いは、最愛の夫を亡くした未亡人とは思えなかったそうです。Sさんはひたすら『ハニー(注・たかじんのこと)がいかに私を愛していたか』ということと『私がいかに病身のハニーに尽くしたのか』という、まるで作ったかのような話を滔々と語っていた。その時点で参列者の間にはSさんへの疑念が浮かんでいたそうですが、決定的だったのは遺骨が火葬炉から出てきた際のSさんの発言。彼女は遺骨を見るや、へらへら笑って『うわあ~、焼き上がったマカロンみた~い』と言い放ったそうなのです。これには参列者全員が唖然としたそうですよ」(たかじんさんの親友)




たかじんの訃報を公式発表

11月7日夜11時、たかじんの訃報が公式発表された。
※たかじん事務所からのプレスリリース、死去報道についてはたかじん死去報道ページを参照してください。

  • 最終更新:2017-02-23 23:29:57

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