fiction


「殉愛」本文中の、事実と異なる記述や矛盾点

 (※客観的証拠があるものや事実ではないと誰の目から見ても明確にわかる内容
 作者の百田尚樹氏は、「殉愛」本文中にイニシャルで表記されている人物へは取材はもとより取材依頼すらしていません。
また、本文中で証言している人物や名前が出てくる人物についても、本人からの取材及び裏を取る作業を行わずに記述している箇所があります。
従って“真実のノンフィクション”という触れ込みの同書は、一方的な視点から書かれているといえます。

  • 参考:SMAP×SMAP(2014年6月2日放送)より百田氏発言
(※ちょうど「殉愛」を執筆している最中の時期)
「ノンフィクション作家は、うまいことウソ入れる。わたしも、ノンフィクション書くとき、平気でいっぱいウソ入れてます。ほんまにそのまま書いたら、おもろない」

 出版元の幻冬舎・見城社長「完全なノンフィクションです」
 著者・百田尚樹氏「殉愛にウソは書いていない」「書かれていることは全て事実」
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《目次》


 ※Kマネが「百田氏を提訴する」かも、という記事が出た途端削除した模様
殉愛(幻冬舎)
発売日:2014/11/7
やしきたかじんの最後の二年間を描いたノンフィクション。
一部のアンチからは「捏造だ」と謂れのない非難を受けているが、本書に嘘はありません。内容には絶対的な自信を持っています。
ネット上で未亡人に対する誹謗中傷が凄まじいですが、晩年のたかじん氏と未亡人を見つめ続けた多くの人の中に、彼女を悪く言う人は、ただ一人を除いては誰もいません。
いずれすべてが明らかになるでしょう。(作者より)
《※魚拓》
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P12、411 「偲ぶ会」で長女が飛ばしたとされるヤジは事実無根と裁判で認定される

 このとき、奇妙な光景を目にした。未亡人が挨拶している間、一人の中年女性が「早(は)よ、やめろ!」とか「帰れ!」などと大きな声で野次を飛ばしていたのだ。私の周囲にいた人たちが小さな声で、「たかじんさんの娘さんらしいで」と言う声が聞こえた(P12)
プロローグでも書いたように、会の半ば、さくらがマイクを持って挨拶を始めるとHらしき人物が野次を飛ばしているのを目撃している。それは異様な光景であった(P411)
  • 幻冬舎に賠償命令 「殉愛」で名誉毀損認める 東京地裁 2016年7月29日
    • タレントで歌手の故・やしきたかじんさんの闘病生活を描いた百田尚樹氏の著作「殉愛」の記述で名誉を傷つけられたなどとして、たかじんさんの長女(43)が発行元の幻冬舎(東京都)に発行差し止めと1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、東京地裁であった。松村徹裁判長は、記述の一部が名誉毀損(きそん)にあたるなどとして330万円の支払いを同社に命じた。 判決は、たかじんさんをしのぶ会で長女らしき人物がヤジを飛ばしたとする記述を「真実とは認められない」と判断するなど、計6カ所でプライバシー侵害や名誉毀損にあたると判断。一方で、発行差し止めについては「発行し続けることでの原告の不利益は大きいが、その損失が回復困難なほど重大とは言えない」として退けた。


  • その他の証言
    • 「司会をしていたが、特に奇声は聞こえなかった」(辛坊治郎)
    • 出席していたたかじんと親しい知人「かなり(内容がオーバーに)盛られている」「たかじんさんのお母さんは、お別れの会の時点で余命3か月のがんと宣告されていた。耳もかなり遠くなっていて、さくらさんが何か言うたびに『今、何言うた』と周囲に聞いていた」(東スポ)

p.28~29 “友人のイタリア人女性”

(2011年12月25日の出来事)
この日は妹の出産予定日でホテルの部屋で待機していたが、午後になってもその兆候はなく、
夜に友人のイタリア人女性と食事をする予定を入れていた。
 →なお、この日はイタリア人が来日した日である(都会っ子ブログの魚拓参照)。

p.28 イタリアで「ネイルサロンを経営」

 2009年、イタリアに行き、そこでネイルサロンを立ち上げた。
サロンの経営は順調で、多くの顧客とともに友人もできた。
 いつのまにか三十歳になっていた。おそらく自分はイタリアでネイリストとして生きるのだろうと思っていた。
  • ネイルサロンについて
 2010年6月、家族に1時間半かけ、単色ネイルして、お小遣いを貰ったのがイタリアに来て初めての稼ぎ

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←さくら氏のネイルサロン?
※【都会っ子ブログ】の記述より(左のスクリーンショット参照)

June 17, 2010
イタリアにきて、ママ以外で初めてネイルのお客さんを受けました!!って言っても、家族なんだけど・・・(汗
ちゃんとお代をいただいたので、イタリアで、初めて自分の力で、稼いだ事になります!

 なお、イタリアでネイルサロンを開業するには厳しい条件が必要です。

P.39ほか イタリアに“親しい男性”がいる

P39「イタリアには彼がいるの?」
「親しい男性はいます」
「恋人じゃないの?」
「違います」とさくらは答えた。
「でも、父は彼と結婚したらいいと言いました」
 たかじんは少し驚いた顔をした。
一年前、さくらの父がイタリアに来たときに、その彼を見ていたく気に入ったのは事実だ。
また彼からはプロポーズもされていた。もっとも彼と結婚するイメージは湧いていなかった

P69 イタリア人の友人もできたし、まだ恋人未満だが、親しい男性もいる。日本に帰ってきてと言われても、現実には難しいー。

P77「彼女にしたい。いや、結婚したいと思ってる」「私、結婚生活というのが、具体的にイメージできません
↓実際
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なお、イタリアでの結婚式にはさくらの父親も参列している(左の写真で新婦の右隣にいる男性)。

    • 殉愛→順風満帆のイタリアでの独身生活が描かれている
    • 雑誌インタビュー→「それまでの不幸な私にとって、彼(※たかじん)は救いでした。彼が私を助けてくれたんです」(FLASH 2014年12月30日号)実際は結婚生活が破綻し不幸だったとのこと。
    • 都会っ子ブログ→『ようやく、結婚2周年も迎えることが出来ました』と幸せな様子を綴っている。

p.79 “ビザの関係で帰らなければならない”

「さくらちゃん、イタリアに帰るのを遅らせてもらえない?」
「ビザの関係で三カ月以内にイタリアに帰らないといけないんです」
「そうなのか?」
「でも、ぎりぎり二月三日までなら延ばせます」
  • 日本国籍を持っていれば、いつまでも滞在できる
  • “独身”であれば日本国籍のはず

p.69ほか イタリアの「下宿」

p.69
今回の一時帰国にあたっては、下宿先のイタリア人女性(さくらはママと呼んでいた)のところに預けてきた。
p.89
イタリアのネイルサロンのスタッフに連絡して店をたたんだ。
下宿先のママには、しばらく帰ることができないので、「さーちゃん」の面倒を見てほしいとお願いした。
ママは快く引き受けてくれた。
p.171
たかじんと暮らし始めてからも、イタリアの下宿先のママに預けてきたさーちゃんのことを思い出さない日はない。
p.202 実は、イタリアの下宿には今も家具や生活道具を置いていて、毎月の部屋代は払い続けていた
p.210
(2012年)十一月二十九日の夜七時、イタリアのママから「電話できる?」とメールがあった。
電話すると、ママは泣いていた。息子が電話を代わった。
「さーちゃんはさくらを待つことができなかった」そのあとママが電話を引き継いで、泣きながら最後の様子を語った。

「彼女(さーちゃん)の最期の姿は、あなたには耐えられないかもしれない。あなたは彼女を愛しすぎたから。元気な姿のまま、彼女を心に生かし続けなさい。彼女はいつもあなたのそばにいる。今、一緒にいる彼を大切にしてあげなさい」

  • 下宿先=イタリア人のいる家、下宿先のママ義母(夫の母親)息子
 ※詳しくは当wiki イタリア重婚疑惑 を参照

P122ほか たかじんのプロポーズと“航空券を引き裂いた”

p.122
「さくら、手術が無事に終わったら、結婚しよう」
P.156
「結婚してな」
P.181
「前に、退院したら結婚しようと言ったけど、もう少し待ってほしい」
p.83
バッグに入っていたイタリア行きのチケットを取り出して、縦に引き裂いた。
(中略)
さくらがイタリアに帰るチケットを引き裂いたと言うと、彼は驚いた。
「お婿さんにしてくれんのは、ほんま?」
 さくらが「はい」と答えると、彼は「よっしゃー!」と歓声を上げた。
「頑張って、森田たかじんになる!」
 さくらはその言い方がおかしくて笑った。
P.113
イタリアに戻るチケットを引き裂いてまで彼のために残ったのに
P.164
さくらはイタリア行きのチケットを引き裂き、彼を看病することを決意した。
P.244
イタリアに帰る予定だったさくらは、その日の夕方チケットを引き裂き、日本に残って、彼を看病することに決めた。
  • 離婚から6か月は再婚禁止期間(民法733条1項)、さくらの離婚成立は2012年3月1日(FRIDAY他)
 従って、この時点で婚姻はまだ継続中でたかじんと結婚は不可能
 (詳しくはイタリア重婚疑惑を参照)
  • 「森田」はさくらの最初の夫の姓であり、さくらの実家の姓ではない
→たかじん死後にさくらは雑誌インタビューで「主人は私の離婚歴を知っていた」と語っていますが…


  • イタリアに帰るチケットを引き裂いた
電子航空券によって従来使用していた紙の航空券から急速に置き換わっており
(普及率は10年間でほぼ0%からほぼ100%になった)、
IATA加盟航空会社には、2008年6月1日から電子航空券の利用が義務づけられている。

空港の航空会社カウンターで座席等が記載された紙のチケットが発見される場合があるが、空港カウンター手続き前に「チケット」を持っていたとは考えにくい。


P.141~142 70℃のお湯で清拭、手の皮が剥けて指紋が消えた

さくらは清拭、おむつ交換、パジャマ洗濯、シーツ交換もした。(中略)、
便秘で便が出ない時は肛門に指を入れて、固くなった便を指で掻き出すことまでした。
それらは本来、看護師の仕事だが、さくらは自分でやれることは自分でやろうと決めていた。(中略)
痩せて寒がりになっていたたかじんには、もっと温かいタオルで拭いてあげたかった。それで、70度前後の熱湯に
タオルを浸けた。すると、掌の皮がやけどのようになり、それを毎日繰り返しているうちに、
掌の皮がすべて剥けてしまったのだ。看護師たちは、『曝露の危険もあるから、
ゴム手袋を使ったほうがいい』と言ってくれた。この場合の曝露とは、がん患者の体液や尿などから、
看護する人が抗がん剤の悪い影響を受けてしまうことだ。しかしさくらは、ゴム手袋は使いたくなかった。
ゴム手袋を使うと汚いものを触っているみたいに見えて、たかじんが傷つくのを知っていたからだ。
だから、汚物を処理するときも、一度もゴム手袋は使わなかった
   →人間の皮膚は45℃以上の温度で熱傷になる。45℃の場合1時間、70℃の場合1秒で組織の破壊が始まります。

p.328 『札幌市役所』での入籍

10日朝10時半、たかじんはインプラントと虫歯の治療のために、すまいる歯科を訪ねた。
その治療中にさくらは札幌市役所に向かった。
婚姻届を提出する為だった。
窓口で書類を出すと、係の人は「本籍の大阪市に問い合わせしますので、お待ち下さい」と言った。
さくらは待ち時間にたかじんにメールを送った。
「ドキドキ…ハニーが頑張っているから、こちらもうまく行きますように。これからは夫婦として、どうかよろしくお願いします。
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今までと変わらず、仲良くしで、力を合わせて頑張っていくね」(原文ママ)

 (※本庁舎2階の《戸籍住民課》では取り扱っていない)
    • すまいる歯科(北4東2)から札幌市役所(北1西2)までは約900m
    • 札幌市の婚姻届に関するページより↓
      持参するもの
      本籍地以外に届ける場合は、届出人の戸籍謄本【各1通】
      (札幌市内の区役所に届ける場合、札幌市に本籍がある方については、戸籍謄本の添付は不要です。)
      届書を持参する方の本人確認書類(運転免許証やパスポートなど)
      ※当事者双方で届書を持参した場合は、双方の本人確認書類が必要です。
      なお、本人確認書類をお持ちでなくても届出できます

p.363~364 「お金なんかいらない」

「さくらには生活できるものは残さないとあかん」
「何もいらないよ。残さなくていい。一緒に連れていってほしい」
「それはあかん!」
彼は強い口調で言った。
「でもお金なんかいらない」さくらが言うと、彼は少し間を置いてから静かな口調で言った。
「ほんなら、お金は寄付してもええか」「いいよ。ハニーが稼いだお金だもん」
「でも二人の貯金はさくらのものや。大阪のマンションは気に入っているから、さくらに残す。会社名義やけど、僕の退職金で清算できる」
  • OSAKAあかるクラブに「寄付金を放棄するよう」要求に行っている(新聞各紙Yahoo!知恵袋のタレコミ)
  • 桃山学院へ骨壺を持って訪問し、たかじんが書いたものだと言って “寄付金放棄要請” 及び脱税示唆とも受け取れる内容について書かれたノートを持ち込むが、ある特徴によって偽物だと看破されて未遂に終わる(殉真、宝島より)

→OSAKAあかるクラブは2015年5月7日、公式サイトにて「家鋪さくら氏より寄付金放棄の申し出があった」と発表した。

以下、当該発表コメントを一部抜粋
OSAKAあかるクラブがやしきたかじん氏からの遺贈を受領した経緯及び上記のご質問に対するご回答は、以下に述べる通りであります。

<OSAKAあかるクラブの回答>

遺言書の内容

『金2億円を、自分が生きてきた証として、「たかじんメモリアル」を設立し、大阪のために頑張ってくれた人に対して表彰し、金100万円から500万円を授与するものとするが、当面の運営は、大阪あかるクラブが行うため、同法人に遺贈する。運営が順調になれば新法人を設立することを希望する』
上記のやしきたかじん氏の遺言書の最後に記載されている「運営が順調になれば新法人を設立することを希望する」という内容に関し、家鋪さくらさんからは、「新法人で『たかじんメモリアル』の設立を行いたいので、OSAKAあかるクラブには遺贈を放棄して欲しいとの申し出がなされました。

この申し出に対して、当クラブは「ご遺言に記されたたかじんさんのご遺志を全うできるのであれば、新法人で『たかじんメモリアル』を実施していただくことは可能であります」、つまり遺贈を放棄するという選択肢もあるということをお伝えしました。その後、当クラブ内にて、やしきたかじん氏のご意志を全うするための遺贈放棄の条件に関し再度理事会で検討した結果、「新法人における当クラブの役割や、遺贈金を放棄した場合の新法人での2億円の使途などに関する合意文書を取り交わさせていただきたい」ということになり、家鋪さくらさんとの間で協議を行いましたが、結果的には当方のご提案にはご同意いただけず、両者の合意には至りませんでした。
※ちなみに、2015年4月にあかるクラブの理事長に就任した温井史朗氏は、さくらが寄付金放棄要求のメモを持参した当時の桃山学院高校の校長であり、たかじんとは高校の同級生だが、親しくなったのは卒業後数十年を経てから。
お互いに敬意を持って接していた。(殉真より)


なお、作者の百田尚樹氏も遺贈放棄要求の場に同行していたことをtwitterで認めています。→詳細は百田氏の殉愛関連twitterまとめを参照
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百田尚樹 @hyakutanaoki  
たかじん氏は大阪のために頑張った人を表彰したいと願っていた。
そのための基金として、自らが作ったボランティア団体「あかるクラブ」に遺産のうちから2億円を寄付すると決めた。
未亡人は夫の遺志を守ろうと思った。ところが同クラブに寄付すると多額の税金がかかるとわかった。(続く)
2014年12月17日 15:18

百田尚樹 @hyakutanaoki
そこで、未亡人と同クラブ双方が有効な使い道を何度も協議していた。
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最初、寄付の放棄を提案したのは、同クラブの顧問だったはず。
協議を重ねた末、遺産は放棄して両者が協力して新団体を作って運営するということにほぼ同意になった。
私はその最終打ち合わせに、証人として立ち会ったにすぎない。
2014年12月17日 15:22
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  • あかるクラブは「一般社団法人(非営利)」なので、寄付金には課税されない。
  • 2014年11月19日にYahoo!知恵袋に掲載された質問
    『たかじんさんの妻、さくらさんと百田さんが手を組んでたかじんさんが自ら設立した、OSAKAあかるクラブに寄付されることになっているお金を、自らのものにしようとしているという噂は本当ですか? どなたか事実を知っている人がいたら教えてください。』への回答は上記のあかるクラブからの発表内容と合致している。
 (※Q&A全文はこちらにもあります)


※ここから上は外部ソースや「動かぬ証拠」があるもの↑

※ここから下はインタビューや証言ベースのもの↓

雑誌インタビューや手記、「『殉愛』の真実」(殉真)との検証

殉真にて否定された内容

殉愛 殉真
P27 二十一歳のときに単身アメリカにわたり、そこで一年半暮らした この時期は日本人男性と結婚、岸和田市で暮らしていた(殉真P177)
〈たかじん嫁の人物像〉を参照)
P26~27 大阪で会社を営む伯父のもとで秘書を務め F社長の秘書を勤めていたらしいが、F社長は伯父ではない(殉真P189)
〈「殉愛」までの前歴〉を参照)
P38 別れた二番目の嫁がやり直したいと言ってきた 前妻本人が全て否定(第2章)

「事実は逆で、たかじんが諦めきれなかった」という親族ほか複数の証言がある(女性自身)
500万円渡すと、足らんと言うから、また500万。けどまた足らんというから、結局二千万渡した。それからしばらくして嫁がマンションを買いよった。あれ、と思ったら、離婚届出されとった」
P64 43歳で2度目の結婚をしている。しかしこの結婚生活も長くは続かなかった。同居してまもなくたかじんが家を飛び出したからだ。(中略)互いに気性が荒く何度も殴り合いのケンカをした
p.217 相原康司「師匠は前の嫁さんや女をハワイに連れて来た時は、必ずホテルに泊まらせて、コンドミニアムには自分一人で寝るんです。女とずっと一緒におるのが嫌な人やったんです。それがさくらちゃんとは、どこへ行くにもずっと一緒なんで、びっくりしました」 たかじんの前妻「ハワイではホテルに泊まったことはないです。私がコンドミニアムの鍵を持ってましたし、ずっと(たかじんとは)一緒でしたよ。お客さんがいっぱい来られたんで、みなさんがご存知のことだと思います。「殉真」P117
井上公造「(ハワイのコンドミニアムに)僕は複数の女性が泊まっていることを確信してます。二人っきりとはいいませんが」(おはよう朝日です)
P49 歌手になろうと決めたたかじんを父親は勘当、母親も『三十万だけ渡した。たかじんは後年になっても、このときの両親の仕打ちを忘れず、テレビで繰り返し恨みがましく語っている。実際に、親との縁はその日を境に切れてしまった。 弟さんが否定。勘当についてはP131,132。親族との関係についてはP126~134
(当wikiの家鋪家親族の立場と主張ページも参照のこと)
※1968年の大卒初任給は月給3万600円、作者は30万”だけ”というが大きな額である。
P93 さくらは以前、「両親との縁は切れているのと同じや」という彼の言葉をきいていた
P365 『さくらは、たかじんが父親に勘当されたこと、母親とも疎遠になっていることは知っていたが、それ以外の親族にもいい感情を持っていないことを初めて知った』
P72 (たかじんがKに)心臓痛いから病院探せと言ったら、知りませんと言いよった。最初から探す気もないんや 言われてすぐに必死で探した(P66)
P102 たかじんとさくらで話し合って三田病院への入院を決めた 実際はたかじんと古い付き合いのある京都の会社社長の紹介で、地元の代議士の口ききで三田病院に入院することが決まった(P66)
P104 たかじんとさくらの二人で一人という思いを込め林一という偽名に 何十年も前から考えていた名前で番組でネタにしていた(P67)
P122 たかじんの手術中、テレビを観ているUとKの横でさくらは手術の無事を祈る K氏「手術中どこかへ行っていたのか姿を見かけませんでした」(P67)
P136 (伯父はさくらが)二十一歳でカトリックの洗礼を受けたときのゴッドファーザー(代父)である 二十代半ばにプロテスタントの教会に通い「洗礼を受けるか迷っている」と語る(P191)

※代父母は洗礼志願者と同性堅信の秘蹟を受けた者
聖ルカ礼拝堂は、イギリス国教会系の「日本聖公会」に属するプロテスタントの礼拝堂。
神父はカトリック教会で司祭などに対して用いる尊称。プロテスタント教会の聖職者は一般的に“牧師”、聖ルカ礼拝堂には専任牧師であるチャプレンがいる
P366 (聖ルカ礼拝堂で)祭壇の前まで来ると、カトリック信者のさくらは車椅子の右側に跪いて、祈りを捧げた。(略)「結婚式、ほんまはハワイでしたかったんやけど、多分もう行かれへんから、ここで神様の前で誓っとく」「神父さまもいないのに?」
P166 さくらの携帯にKから電話があり、娘の悪口をさんざん語る K氏から彼女に直接電話はしない(P75)
P196 Kから彼女の携帯に電話があった
P196 FBの文章には病気が治ったらさくらを捨てるつもりと書かれていた さくらを称賛し、結婚するという内容だった(P73)(※「変革の誕生日」)
P268 4/30、Kとさくらが余命を聞く 夏に、彼女だけが余命を聞く(P79)
※Kマネが余命を知るのは12/25(打越氏口頭弁論時の証言より)
P294 たかじんはさくらだけを信頼し、Kをむげに扱った 金庫を開ける際、彼女が「さくらが行きます」と立候補したのをスルーしてKマネに頼んだ(P219)
P324 13年10月5日、大阪のマンションで彼女が留守の間に順子を録音。作者曰く『魂で歌ったような歌唱』『さくらに対する感謝と愛情がすべて込められていると言っても決して言い過ぎではない』 さくらが準備した(P89)
2013年2月 ハワイで録音(14.1.11胸いっぱい)
2013年10月ハワイのコンドミニアムで録音(偲ぶ会)
2013年10月12日 (金スマ)
p364 (2013年12月25日)「ほんなら、お金は寄付してもええか」(中略)さくらは(エンディングノートの)項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した。たかじんメモリアルを作る。たかじん名義の預金は全部寄付。寄付先は大阪市、 親がいない子供たちの施設、盲導犬協会というものだった。 遺言書での寄付先は大阪市、あかるクラブ、桃山学院高校の3ヶ所になっており、これは12月29日にY弁護士が調べた結果、『親のいない子供達の施設(A学園)』からたかじんの知人が退職していたこと、盲導犬協会に大阪支部がないことから変更になった。
一方、2014年2月5日にさくらがたかじんの骨壺を持って桃山学院を訪れ、「実は私はお金に困っている」と言って“温井へ”から始まるたかじんの手紙(通称:温井メモ)を見せて寄付金の放棄を打診した。このメモの日付は2013年12月23日で、殉愛の記述通りならこの日の時点で桃山学院は寄付先には出てきていない(殉真 p. )
P373 医師がたかじんの親族は呼ぶべきではないと言った さくらが言った(P175)
P365 12/25、たかじんはKと1時間話し、余命のことを誰にも言うな、会社をたたむからさくらの言うとおりにしろと言う 1時間ではなく3時間話した。たかじんはそんなことは言っていない(P99)

当初彼女はたかじんの株を相続し社長になるつもりだったが、たかじんの株が少数と判明し計画を変える(P210~213)
P388 「クリスマスの日に、誰にも言うなって、ハニーに言われたでしょう」「ああ、言われたで」
P389 「ハニーから私を助けろって言われたでしょう。誰にも言うなって言われたでしょう」
P393 たかじんの前妻が火葬場で「見たことある?人体模型みたいで、結構グロいよ」とさくらに耳打ちした 前妻「これまでの人生で「グロい」という言葉を使ったことがないです」(P117)
<参考>都会っ子2010.6.23に『グロイ?! ダークすぎ?!』という記述がある
P396 さくらがマンションに戻ると弁護士から電話があった。遺言書を見たHが、娘には一切相続させないという父の遺志を知って、かんかんに怒っているという。父親が亡くなってすぐに遺産のことを考える娘が理解できなかった 娘さんの反応を気にしていたのはさくら(P215~217)
P406 家鋪さくらの記憶力は異常とも言えるほどで、日をずらして質問しても、何度質問しても記憶がぶれることは一度もなかった。それは細部に渡り、そのときの人々の服装や立ち位置まで記憶していた (彼女の説明は)「変遷したり、辻褄があわないことの連続だったようです」(殉真P295)「もはや彼女自身、どこの雑誌の記者に、どんな話をしたか覚えてないんじゃないですか」(殉真P230)「話自体がよくわからないものだった」「理解しがたい説明を繰り返した」(P295.296)
P409 たかじんが亡くなった後、弁護士はKに法的な権限はないと伝え、帳簿と書類を没収。1200万近い使途不明金があると判明 PISの代表はK氏と長女であり、当時さくらは株主でも取締役でもない。1200万はたかじんの交際費などをK氏名義で仮払いしたもの。帳簿は税理士が管理しておりK氏は操作できない (P105)
P410 PIS所有のマンションに賃貸契約に基づいて賃料を払っている 40万円中10万しか払っていない(P106、P213)
p411 Hはまた2014年3月3日にリーガロイヤルホテルで行われた「やしきたかじんを偲ぶ会」にも強引に出席した。最初、会を主催する在阪のテレビ5局のスタッフは、Hを呼ぶつもりはなかった。しかしHから「自分を出席させなければ、会の中止の仮処分申請を裁判所に出す」と言われたために、トラブルに発展することを恐れ、やむなく会に招待したのだ。 たかじんの親族は会が催されることを知らなかったが、ある日長女にさくらから突然「親族は会に出席しないように」とのメールが来た。さくらも招待客の立場で、仕切役がYTVの山西だと知り連絡を取るが梨のつぶて、たかじん弟が知人の関係者に掛け合ってようやく山西とアポが取れるも、指定された話し合い当日は山西、関テレ・菅沼、テレビ大阪・田中の三局長が「今回はお呼び出来ない」と繰り返すばかり。最終的に長女が「親族が出席できないなら開催中止の仮処分を申し立てる」と通告→時間をください→2日後に行われた面談でようやく「ご招待させていただきます」との回答を得た(p154)
p.412 ここまで読んでいただいた読者にはおわかりだと思うが、さくらはたかじんの遺産を目当てに結婚したのではない。(中略)これらの金をさくらはまったく望まなかった。 13.12.29「金庫は(危篤のたかじんを東京に置いて、大阪まで)私が開けに行きます」(殉真P219)
「(さくら氏の話の内容は)金庫の中の1億8000万円は私のものだったことにして欲しいというものでした」(Y弁解任陳述書、殉真P220)
14.1.28 「さくら氏が言うには、契約書によれば、自宅金庫内の現金は、ほぼさくら氏のものになる」(Y陳述書、殉真P220)
14.3.11 「大阪の自宅には主人の金庫と私の金庫があり、私のお金はリボンでまとめて主人のお金と別にしていたのに、なぜ勝手に一緒にしたのか」(さくら陳述書、殉真P221)
P414 「さくらにたかじんメモリアルを作ってもらって、何か大阪に恩返ししてほしい」 メモにも「たかじんメモリアル財団つくる→あかるクラブ失敗!」とあるが、殉真によると「たかじんさんは亡くなる直前まで、当時の理事長に『アワードを何とか実現してくれ』『アワードをよろしく頼む』と言い続けていた」(P248)


雑誌等で関係者に否定された/または本人手記と矛盾する内容

殉愛の記述 否定・矛盾内容と出典
p.27 さくらは日本にいたころから、家庭でテレビを観る習慣がほとんどなく、「やしきたかじん」の名前を知らなかった さくらが父親に “好きな人ができたからイタリアへは帰らない” と告げた時の父親の反応→「何や、たかじんか・・・何っ、たかじん!」「あの、やしきたかじんか?」「お前、何を考えているんや、頭がおかしくなったんか」(殉愛 p.88~89)
ブログには織田裕二、石田純一(10.5.20)明石家さんま(10.5.18)西部警察、石原裕次郎 、渡哲也(10.7.30)「アフラックー!!」って 日本のCMの威力は計り知れませんね (10.7.12)中村獅童(11.4.15)辺見えみり(11.3.6)タッキー(10.8.16)福山雅治(11.9.30)についての記述がある
P331 (2013/10/21、たかじんが欲しがったウブロ製の時計を購入)さくらが値段を訊くと、880万円だった。あまりの高額に驚いたが、たかじんと二年間夫婦として貯金してきたお金で購入した さくらとたかじんが出会ったのは2011/12/25、入籍したのは2013/10/10で、“夫婦”になってからは10日ほどしか経っていない(殉愛P.28、328)
「私と主人は業務委託契約は交わしていましたが、それはただの書類に過ぎず、私は1円ももらっていません」(週刊新潮)
私と主人との間では2年前に業務委託契約書を作成し、毎月一定額の支払いを受ける約束にもなっており、私が現金を受け取ることになっていました(週刊朝日)
P167 Kは仕事でのうっかりミスが少なくなかった 日置「Kに言われたら、それは、もしかしたらたかじんさんの意向かもしれないじゃないですか」(殉愛 P246)

さくら「ハニーはKさんに、マネージャーとして期待してるんです。Uさんがいなくなってもやれるという気持ちをわかってください」(殉愛 P321)

「会社をたたむから、さくらの言うとおりにしろと。俺が死んだら、さくらがすべてやるから、さくらの言うとおりにして、さくらを助けろと。とにかくさくらを助けろと言うのは、念押しした」(殉愛 P366)

2013年12月末、たかじんが大阪のマンション内の金庫の内容を確認するようY弁護士とKマネに依頼し、「さくらが行きます!」と立候補したのをスルーして「K、頼む」とKマネに金庫の暗証番号を教えた(殉真より)
→さくら「私は主人が亡くなるまで自分の通帳も印鑑もキャッシュカードもすべて主人に預けていて、金庫の暗証番号も“開けた時のお楽しみ”と教えてもらっていなかったんです」(週刊新潮)
P168 徳岡「ぼくらは彼を運転手としてしか見てませんでした」(中澤、日置の意見も同様)
P294 たかじんがこの二年近くさくらだけを信頼し、反対に期待通りに動かないKをむげに扱った
P321 たかじん「お前、車の運転以外何も出けへんやないか 」
P342 たかじん「Kは仕事は何ひとつできん奴やった」
P350 たかじん「俺も復帰できるかどうかわからへんから、もう会社をたたむ。せやからもうやめろって言うた」「年内には会社をたたむし、どうせそれまでや」「解任通知は作ってある」
P352 「ハニー、何か気になることがある?」
さくらが訊くと、たかじんは「Kがうっとおしい」と答えた。
「Kさんのことは年内に解決するから、もう考えないで」
P255 (2013年3月23日)「ぼくはね、はしもっちゃん。マスコミのおるとことか、スタジオにさくらをさらしたくないねん。はしもっちゃんとか越智さんとか、あとぼくのほんまの友達に、真っ先にさくらを紹介したいんや。それも、ぼくの口から」 2012年1月27日には「スタジオに来てほしい」と言われ、彼女はスタジオを観覧。(殉愛P97)
p364 「ほんなら、お金は寄付してもええか」(中略)さくらは(エンディングノートの)項目のひとつひとつを読み、たかじんの希望と意思を確認した。たかじんメモリアルを作る。たかじん名義の預金は全部寄付。寄付先は大阪市、 親がいない子供たちの施設、盲導犬協会というものだった。 〈※作者の百田氏は殉愛刊行(2014年11月7日)以前にたかじんの遺言書を見たと言っているのに、殉愛では何故か遺贈先が遺言書と異なっている〉
私(※作者)は遺言書(コピー)をこの目で見ているが、たかじんの預金は全額寄付することになっている。ここで金額をはっきりと言うことはできないが、数億は下らない。(殉愛 P412)
(百田氏が)遺言書を実際に見た(週刊文春2014年12月18日号)
P27 イタリアに永住するつもりでいた 『(11年)9月にはイタリアから日本に一部の荷物を送り』離婚し帰国する予定だった(FRIDAY)
P28 今回の帰国は、もしかしたら日本で暮らす最後の日々になるかもしれない
P76 「イタリアから日本に帰ってきてくれへんか」「簡単には帰れません」
P77 じゃあ、お互いにイタリアと日本で暮らしながら結婚生活をするのも可能なんじゃないですか?
P42 どうしてよく知らないのに、そんなこと言うんですか 『これまでの過去の出来事を打ち明けたところ、やしきは親身になって話を聞いてくれ』と、信頼関係がありお互いのことをよく知っていたと主張(FRIDAY)
P107 言われてみれば、自分はやしきたかじんのことを何も知らない
p38 前妻が去年ヨリを戻したいと言ってきたが断った たかじんの方から(再婚済みの前妻に)戻ってきて看取ってほしいと何度も連絡していた。前妻は断ったが、2013年8月頃までその要請はあった(週刊朝日より親族の証言)
P89 ネイルサロンのスタッフに連絡して店をたたんだ 知人にお願いして処理(FRIDAY)
P102 (娘から)「なんや食道がんかいな。自業自得やな」という内容のメールがあった。それを見た彼は激怒して、「親子の縁を切る!」と言った。 娘からのメール文面:『話したいことあるって言うから何かあるんやろうなと思っていたけど、そういうことかいな。ショックやな。今週末大阪行くから会いましょうよ』(週刊新潮)
父に挑発的なメールは送ったが、自業自得なんてメールは絶対に送っていない(FLASH)
P105 テレビ局のスタッフの誰にも病院名は知らせなかった 名誉毀損で訴えられてもいいから、敢えて書く。たかじん氏の娘は、父の二年間の闘病中、看病はおろか、見舞いにさえ一度も来なかった。 看病はすべてさくら氏に任せっきりだった。娘はシャットアウトされていたというが、たかじん氏は常に携帯を持っていて、友人やスタッフたちと連絡を取っていた。 (百田尚樹ツイッター)
P173 六本木のマンションは見た病院のごく限られた人間とたかじんの友人の一級建築士以外は誰も知らない。しかも病院の名前は番組関係者にも教えていない。
P.131 (※父親の癌が発覚した際、看病は妹に頼み、見舞いにも行かず赤の他人であるたかじんの側を離れられないというさくらに父親が激怒)
「夫でもない男にそこまでするか」「親より大事というなら、好きにせい。もうお前なんか、娘と思わん」父は怒鳴るように言うと、電話を切った。これ以降、さくらは父から勘当状態にされた。
「今は手術までに、(父の)そばにいてできることをしています」「(夫を置いて頻繁に帰国することを非難する読者に対し)病気の自分の親を優先するのが間違いでしょうか?」(都会っ子ブログ2012.3.11)

※ちなみにさくらの父は前立腺がんだったが、ブログ読者に“嚥下機能が低下している人への食事レシピ”を尋ねている
P192 (※娘さんが結婚祝いを欲しいと言ってきたことへ不快感を表したという描写)「親が生きるか死ぬかの病気で苦しんでいるのに、一度も見舞いに来んと、自分は結婚するから祝ってくれって、どこまでおのれのことばっかりなんや。これまでも仰山お金渡してきた。これからは旦那に養ってもらえ。もう親をあてにするな」 「私は結婚祝いがほしいなんて言っていません。父に結婚相手に一目、会ってほしかっただけなのに、返事もくれなかった。母が父の女性関係でさんざん、苦労したことを聞いていたこともあって、この局面でも若い女性をそばに置き、私の結婚を無視する。『父親ってこんなものなのか』と、いい加減腹が立ちました。同年12月に結婚して以降、父にはほとんど連絡をしなくなりました」(週刊朝日)
P223 2011(平成23)年の春、たかじんから心臓の不調を聞いた井関は、懇意にしていた総合病院を紹介した。医師はたかじんの心臓を集中的に診察し、突発性狭心症と診断した。 大阪の病院で「狭心症」と言われ、日本で一番良いカメラのある病院を探して東京の病院で検査をしたところ、“いつ起こるかわからない、痙攣の時しかわからない『痙攣性狭心症』”だと言われた(復帰時の胸いっぱい)
※冠攣縮性狭心症?
p.409 (MBSラジオでたかじん追悼特番を放送するという情報を聞いて)井関猛親が毎日放送の常務に電話し、「遺族の許可を取ったのか」と訊くと、常務はKとUから許可を取ったと答えた。井関は「KとUには何の権利もない。これを流すと大変なことになるぞ」と言った。放送は直前で中止になった。 MBSラジオのたかじん追悼特番は1月8日19:00に放送(1月8日19:00に放送)
井関が宝島社に電話して、殉真の中の井関の記述に文句を付けたのですが、担当者が「殉愛からの引用です」と返したら「そうなのか?」と驚いていたそうです(2chスレへのタレコミ)
実名証言が載っているからといって、当人が本当にそんな話をセンセイにしたのか疑わしい箇所多発。都度取り上げていたらキリがない。聖路加の医師などは件の問題箇所について「そんなことは言っていない」と否定しています。テレビ局関係者に至っては『殉愛》読んでエッ!?と驚いている人もw。(宝島 井野編集長2015.2.27twitterより)
P413 国会議員でもある某医師は主治医でもないのに主治医のように言い 伊東医師はたかじんと数年来の友人で、血液検査について説明した(ゆめいらんかね、週刊朝日)
P350~351 (12/15)さくらが久保田医師に電話で相談すると、膀胱炎の可能性があるので抗生物質を与えるようにという指示を受けた。彼女はたかじんに薬を飲ませた。

(12/16)体温を測ると、三十六・六度だった。さくらはほっとした。抗生物質が効いたのだ。おそらく膀胱炎だったのだろう。(略)たかじんの知り合いが経営しているクリニックの看護師が家まで来て点滴をしてくれた

(12/20)知り合いのクリニックの看護師に来てもらって採血した
年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており (伊東医師)
※上記の伊東医師のコメントを百田氏はtwitterで「重大なウソ」と断言しているが、殉愛に出てくる“知り合いのクリニック”は伊東クリニックのことだと思われる


※CRPが基準値の50倍を示したときに病院に連れて行った様子がない
P381 「アイラブユー」が最後の言葉 「ちょー、飲みにいってくるわ」(死去間もなくの報道、「胸いっぱい」)
p.363~364










P412













「何もいらないよ。残さなくていい。一緒に連れていってほしい」
(中略)「でもお金なんかいらない」さくらが言うと、彼は少し間を置いてから静かな口調で言った。「ほんなら、お金は寄付してもええか」
「いいよ。ハニーが稼いだお金だもん」 (中略)
「でも二人の貯金はさくらのものや。大阪のマンションは気に入っているから、さくらに残す。会社名義やけど、僕の退職金で清算できる」


ここまで読んでいただいた読者にはおわかりだと思うが、さくらはたかじんの遺産を目当てに結婚したのではない。
私(※作者)は遺言書(コピー)をこの目で見ているが、たかじんの預金は全額寄付することになっている。
ここで金額をはっきりと言うことはできないが、数億は下らない。
これらの金をさくらはまったく望まなかった。彼女が受け取ったのは、預金以外の大阪と東京のマンションの権利その他だけだ。

〔当wikiの〈遺言・贈与に関する疑問点〉に遺産相続と寄付金関連の詳細があります〕
2012年頃、井上公造が東京のバーにたかじんから呼び出された際、「実は東京にマンションを買った、娘にやろうと思ってる」と言っていた。これは井上だけでなく複数の人が聞いている(おはよう朝日です)
※2011年秋に放送された「めちゃイケ」のコーナー『やべっち寿司』にたかじんが出演した際、「東京でマンションを探している」と発言している
(当wiki内〈その他資料・証言・動画〉参照)
13.12.31 (危急時遺言を作成した後)Y弁護士がさくらの生活費として1000万円を金庫の中から出した際、預かり証にサインするようさくらに告げた事を不満に感じたさくらはたかじん(※この頃はペンを持つ力もほとんどない)に言い付けノートに「現金さくら」と書かせた(週刊朝日)
「たかじんの娘になぜ1億もやらなきゃならないのか。高すぎる」(Y弁解任陳述書)
14.12.11「私と主人は業務委託契約は交わしていましたが、それはただの書類に過ぎず、私は1円ももらっていません」1.8億円は生活費の余りを100万ずつリボンでくるんだもの、病気で外出できないお詫びとしてクリスマスなどのたびに300万を金庫に入れてくれたもの(週刊新潮)
14.12.17「庶民的な目星で1億は高いからカネ目当てだと言うなら、そう思う人がいても仕方がない」(業務委託契約について)「ネイルサロン出店中止の賠償金、難聴に対する慰謝料、秘書契約のお金」(週刊朝日 作者インタビュー)
14.12.27「1億円は、乳腺炎になったことと耳が聞こえなくなったことの慰謝料、業務委託契約(WiLL)
15.1.20 (14.12.18発売の切手についてカメラマンが)「営利目的で写真を使われるとは考えていなかった」
「故人はお金儲けに利用されている」(サンデー毎日)
P80 プライベートでも、オフィシャルでも、お手伝いできることはやります。でも、お金はいりません。
P394 火葬場でさくらがたかじんのお骨を見て「マカロンみたい」と言ったとの報道は真っ赤な嘘 娘さんと前妻さんが聞いた(打越氏陳述書)
吉村弁護士に確認したら、マカロン発言を聞いたと言っていた、文春に洩らしたのは松本氏しかいないだろうとのことだった(裁判でのKマネ証言)
P397 新幹線の窓側の席に骨壺を置き、上からブランケットをかぶせた 『骨壺をコートで包んで隠し、新幹線の車内で二時間半、私は泣き続けていました』(WiLL)
P53 「京都の女性」もさくらと面会 会えていない(鶴瓶がラジオで証言)
p.103 娘のたび重なる無心に、たかじんは後年うんざりしていたらしく、親友の松本哲朗は「娘の頭の中は金しかない! 縁を切りたい」とたかじんがこぼしているのを聞いている
徳岡敦朗「“(たかじんが)娘に五千万やって縁を切った”と言っていたのを聞いたことがある」
テレビ関係者の証言「娘さんのことをここまでボロクソに言っていたか、と言うと違う気がする。新地で飲んでいる時でも娘さんから電話があれば丁寧にしゃべっていたし、『親らしいことを何もしてへん』という気持ちも吐露していた。結婚相手についてもかなり心配していました」(週刊朝日)
老後は娘がおるやん、と言うざこばへ「娘は東京におるから…」(言って委員会にて) 動画
娘からの手紙に号泣するたかじん(おやじと、娘と、たかじんと) 動画
p.395 娘は弁護士に遺言書の件を聞きたいと言って残った。松本は「あんなんだから、じんちゃんも嫌いになったんや」と言った。
p.166 娘からのメール内容→「なんかわけのわからん韓国女に世話してもらっているらしいな。いざとなったら、私も出るとこ出るよ」 「今お父さんを見舞えるのは限られた数名だけらしいね。しかもお世話してくれてるのが身元の怪しい韓国人の女。話を聞けば聞くほど心配になります。占い師じゃないけど邪魔臭いことにならないように用心してください。万が一の時は私も爆発する覚悟です。」(週刊朝日)
P.345 12月6日(略)さくらの携帯に井上公造からメールが入った。さくらはなぜ彼がアドレスを知っているのかと訝しんだが、ずっと以前にたかじんの用事でさくらの携帯からメールを送信したことがあったのを思い出した。 たかじんから頼まれ事をしたお礼にお菓子が届き、そこに手紙と一緒にさくらの名刺が同封されていたのでアドレスがわかった(おはよう朝日です)
p.409 Kマネは関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪の3局に対し、番組の冠使用料を要求したが3局は拒否。たかじんの遺言通り、遺族であるさくらに「冠料」を支払うことにした」 たかじんの「遺言書」に冠番組についての言及はない(FRIDAY)
P414 三つのテレビ局は、たかじんが亡くなったあともタイトルに彼の名を冠した番組を続けていくことを発表した。番組の存続に関しては制作スタッフに権限はない。テレビ史上に前例がないこの決定を下したのは、三局の社長だといわれる。
P334 (11/14)相原とお笑いタレントであるメッセンジャーの黒田有がマンションにやってきた メッセンジャー黒田(43)が、12月半ば、たかじんさんに呼び出された(日刊スポーツ)
P42 (たかじんのマンションで)「最後の女に決めました。だからー結婚してくれへんか」 やきやき晴の花でプロポーズされた(魔法のレストラン)
P330 (10月10日)「毎年、皆、ハワイに来てくれるから、この前パーティーに来てくれたメンバーを呼ぶ」彼は早速、来年二〇一四(平成二十六)年、一月八日のハワイ行きのチケットを用意した。 A氏によると、たかじん氏は2014年1月8日からハワイに滞在する予定だった。前年夏ごろたかじん氏のメールには「来年1月8日(のハワイ便)の航空券を購入した」とあった。(サンデー毎日2015.2.1)
P11 これを歌っているときのたかじんは、自分の命がまもなく消えることがわかっていたに違いない。 殉愛ではこの時期『すべてがいい方向に進んでいる』(P319)と書かれており、10月10日には翌年1月にハワイに行くためにチケットも購入している。なぜ10月5日にたかじんが『自分の命がまもなく消える』と思ったことになっているのか不明



  • 最終更新:2016-08-07 15:57:20

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